高麗人蔘畑に汗光る
360度、大空をさえぎるものが何もなく、島を渡る海風が人々を大らかな気持ちに誘ってくれる大根島。
中でも、傾斜した屋根が連なる高麗人蔘畑で、人蔘の収穫を終えたころの秋から春にかけての晴れた日には、澄んだ空気に秀峰大山の雄姿が中海に映え、ことのほか明媚な景色です。
そんな風景の中で、2ヘクタールの畑で人蔘栽培を手がけるのは、渡部俊さんと、奥様の好美さんです。渡部俊さんも好美さんも、生まれも育ちも大根島という生粋の八束町民。
ご主人は、松江の高校を卒業後、家業の高麗人蔘栽培を受け継ぎ、その道36年というベテランで、同じく、好美さんも結婚してから30年、その右腕としてご主人を支えてきました。
渡部家は、およそ80年前から栽培に携わっていて、人蔘の栽培から精製まで手がけていたそうです。
母屋の離れにある作業場には、昔から大切に使われてきた道具類が整然と並べられ、掘り起こした人蔘を洗ったという刷毛なども保存されています。そして、取材に訪れたのは、練炭を焚いた乾燥場で、蒸された人蔘が長方形のザルにきれいに並べられ、「紅蔘」に加工されている最中でした。
人蔘の栽培は、種を植えてから収穫までに6年もの歳月を要し、その後、同じ畑では20年もの間、収穫ができません。それだけ高麗人蔘は、土の多くのミネラルや栄養分を吸収して成長するのです。
「賭みたいなものですかね。人蔘栽培は。その年、その年の天候で、6年も大事に育てた人蔘の出来具合が変わってきますけんね。台風や日差しを嫌うので、こまめに小屋を直したり、水はけをよくしたりね。やはり、手をかけないとね」と、こだわりを物静かに語るご主人。
その横で、妻の好美さんが「毎年、収穫しようと思えば、毎年、同じ作業を繰り返さんといけませんが。
年毎にちがう畑が6カ所もあると、畑ごとの作業の時期をなかなか覚えられませんでね。最初は、よくこんがらがってました」と、笑顔で苦労話も。
二人で育てる人蔘だからこその、愛情のかけられた高麗人蔘です。
高麗人蔘栽培は、まず土作りから始まります。
実は、大根島は12万年もの昔、大山が火山爆発したときに隆起してできた島で、土壌は、火山灰独特の性質を持っています。
そして、中海で海草の藻が捕れていたころには、その藻を土中に埋め込み、肥やしにしたとか。なるほど、島の土がミネラル豊富で肥えていて、高品質の高麗人蔘が収穫されるというのも、こうした自然の恵みによる理由だったのです。
その土を7月にトラクターで耕し、畝(花壇)を作り、12月ごろから屋根付きの小屋作りです。水を嫌う人蔘のために土を乾かし、そして、3月に別の畑で育てていた1年物の苗を植え付けます。
収穫までの5年間は除草小屋の手入れと、こまめな作業が続きます。収穫は、膝を地面につき腰を曲げて、柄の短い鍬で掘り起こすという、かなりきつい作業です。
「これが、なかなか身に応えますわ。小さな人蔘が顔を出すと、がっくり。でも、大きいのだと元気がでます」と、収穫担当のご主人は顔をほころばせます。
収穫した人蔘は、水できれいに泥を洗い落とし、セイロで2~3時間蒸します。そして、2週間ほど乾燥して「紅蔘」という製品に仕上げられ、いよいよ出荷です。
「昔は、家で煮詰めてエキスも作ってたようですけど、今は自宅用に作るくらいです。毎朝、食後に煮詰めたエキスを箸にちょっとつけて、お湯を入れた茶碗で溶かして飲んでましたらね、毎年、決まって同じ時期に出ていたくしゃみが止まったんです。だから、娘にもすすめてるんですよ」と、話してくださいました。
渡部さん夫婦は、これからも1人でも多くの方に高麗人蔘を通して、健康な毎日を過ごしていただきたいと、畑に向かう毎日です。